コンプレックスは宝の山

この世にコンプレックスの無い女性はいないのではないだろうか。

他人から見ると、非の打ちどころの無い女性でも
深くお話を伺うと、ええ!?と驚くような
コンプレックスを抱えていらしたりする。

 

 

かくいう私も、コンプレックスのデパートのようだった。
女性に圧倒的に多い、外見コンプレックスだけでも
脚のコンプレックス、顔のコンプレックス
声のコンプレックス
数え上げればきりがない。

 

今でもコンプレックスはゼロではないが
それでも、以前と違うのは
コンプレックスが死刑宣告のように
私に絶望をもたらすものでは無くなったこと。

 

私たちはコンプレックスを抱えている部分を嫌悪し
「ここが嫌。」
「これさえ無ければ。」
と、自分から切り離そうとする。

 

しかし「嫌」だと思うのは何故か。
実は「自分が求めるものを得られないから」嫌なのだ。
コンプレックスが原因で、自分が欲しいものが得られない。
だから、その部分を憎む。

 

例えば脚で言えば、「脚が太い」コンプレックス。
脚が太い、短いからミニスカートが履けない。
ハイヒールなんか似合わない。
だから女性らしくなれない ⇒ モテない
⇒ モテない自分は価値がない

はい、負の連鎖の一丁上がり。

これは私の若かりしころの負の連鎖である。
私の場合は更にこじれて
自分が履けない(と思い込んでいる)ミニスカートや
ハイヒールを颯爽と履きこなす女性が大嫌いになった。

『ハイヒールにミニスカでチャラチャラしやがってバカヤロー!』

心の中で叫んでいた昔の私。
その裏には
『本当は私だってそうしたい!』という本音があった。

タイムマシンがあったら
あの頃の私の肩にそっと手を置いて
「大丈夫だよ。そうなれるから、やってごらん。」
と言ってあげたい。

 

自分のコンプレックスを何とかしたくて
試行錯誤の末にハイヒールに行きつき
長年の脚コンプレックスは、嘘のように消えた。
そして手に入れたのは、自信。
誰かと比べることで得る自信ではなく
「この私」だから得られる自信である。

 

コンプレックスには必ず
本来自分が求めている「欲」が隠されている。
その「欲」こそが、実は宝物なのだ。
欲=自分の本当の望みを叶えてあげることは
自分自身に喜びを与えることだから。

 

コンプレックスを沢山抱えている人は
それだけ、宝の山を持っている人なのだ。

 

 

脚コンプレックスを何とかしたくて
ハイヒールに行き着いたように
私は自分の顔コンプレックスを何とかしたくて
顔のトレーニングに行き着いた。

 

身体がトレーニングで変わるように
顔もトレーニングで変わる。
変わる、というか本来の筋肉の働きを取り戻す。
顔が変われば、身体も変わる。

そんな顔のトレーニングレッスンを構築中である。

 

 

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